そもそもTakuってどんな人?

 

TAKU。Webマーケター及びコンサルタント。

オフィシャルメディア「DIY LIFESTYLE CREATION」運営。

2017年9月、副業からインターネットビジネスを始め、

1つ目サイト5ヶ月後に月収30万円達成。
初年度アフィリエイトで250万円達成。

 

2019年、気まぐれに2つ目サイト運営開始。
2ヶ月目月収12万円、
サイト運営3ヶ月目月収30万円。

 

採用マーケティング企業「インビジョン」
地方創生プロジェクト「Fledge」部門公認アンバサダー就任。

 

2020年、日本最大級オンラインコミュニティー
Augusta Academy ZERO専属SEOコンサルタント就任。

 

情報発信(DRM)マーケティングで自動化月収300万円達成。
2020年12月情報発信DRMプロモーション月収560万円達成。

2022年、自身のビジネスコミュニティ「タキビイロ」を立ち上げ、
ブログ収益化、オンライン自動化マーケティングのコンサルティングを行いつつ
さらなるビジネス完自動化に向けてコミュニティを運営中。

 

5児の父。(11,8,6,4,1歳)

田舎へ移住しゆったり子育てするためPC1台で起業。

コーヒーとマカロンが大好き、趣味は日曜大工(DIY)で
現在自宅古民家を子供と一緒にゆっくり再生中。

cafeでPC作業することも好き。

 

       

 

サラリーマンとして組織の中で働き続け、

主体性を発揮することをあきらめ

家族との時間を犠牲にするのは

もううんざり・・

 

自分の人生を自分らしくクリエイティブに生きる。

 

時間とお金を確保し

田舎でのんびり暮らしながら

子育てをするために、

まずはじめたのは◯◯からでした。

 

はじめに

 

Taku
Taku
はじめまして。takuです。

 


2019年3月まで普通に会社員として働いていましたが、
副業
ノートパソコン(MacbookAir)
1台だけでお金を稼いできて、
現在は脱サラをして起業し、
現在は家族で地方移住を果たし
田舎の大自然のなかで子育て中です

 

PC1台で暮らしています。

   

追記:ちゃんと稼げるようになってから、
最近Mac Book Proを購入しました。
だから今は実質2台ですね。
でも使う用途や中のデータは全部
同期させているので、大きさが
違うだけで、実質1台使用と同じです。^ – ^

 

 


2017年9月から
ネットビジネスをはじめ、
すでに脱サラできる状態ではあるのですが、
諸事情もあり、
退職は2019年春に予定しています。
※↑ 実現しました。

 

すでに職場にも公表していますので、
あとはそれに向けて着々と準備を
進めていくだけ。(←実現しました。

 

ネットビジネスを始めた頃から
今日までを振り返るとほんと怒涛でしたね。
ただひたすらに無心で突っ走って来た
という感じです。
(※↑ 過去も現在も怒涛です。)

 

 何もわからない状態からのスタートで、
インターネットビジネスをはじめて、
5ヶ月後に
月収30万円を副業だけで稼げる
ようになりました。

 

今はまた違う作業に時間を割いているのですが、
最初に手がけたその1サイトだけでも
それ以降はずっと一日1時間程度の作業
毎月平均20〜25万円あたりを
安定維持しています。

 

もっと集中してやれば、
それ以上の数字は出せるのですが
今はとりあえず、どんともっと大きく稼ぐために
情報発信(DRM)のマーケの仕組みづくりに
力を入れている段階です。 

 

僕の場合、ネットビジネスの前知識は
本当に全くのゼロからのスタートでした。

 

パソコンはもちろん所有していましたけど、
メールとか、Microsoft、ワード、エクセル、
パワポなど少々、あとはネットサーフィン
に趣味でphotoshopをかじってる程度で
ビジネスとしてPCを活用し収入を得たことは
一度もありませんでした。

 

「ネットビジネス?」

「 ワードプレス? 」

「 SEO? 」

「 Google アドセンス? 」

 

Taku
Taku
なにそれ、全然わからない。。

 

という状態でした。

 

ですから、正直最初はまさかこんなにも
短期間で
自分が「結果」を出せるとは
思っても
いませんでしたし
今のビジネススタイル
を構築するまでには、
別の方法も
模索したりと、
悩んでいた時期も半年以上ありましたので、
それだけに
結果が出た時の喜びは
ひとしおでした。

 


(悩みながら模索していた時期に関しては
また後ほど
紹介させてもらいます。)

 

 

ネットビジネスにおいて収入がある程度
安定してきてからは、精神的に非常に
楽になりましたね。 

 

 

またこのビジネスにはさらなる
発展性という伸び代があるため、
今は次のステップアップ
(仕組み構築と自動化)のために
コツコツ作業しているというわけです。^ – ^

 

 

本当に何にもわからない中で、
諦めることなく、ここまで自分を
突き動かしたのは、

 

 

自分自身で人生を開拓していきたい」
「自分の人生は自分でクリエイティブに設計したい」

 

 

という「自立心」と「好奇心」でした。

 

生い立ちと家族

 

父親不在

僕は、兵庫県のものすごい田舎に
生まれ育ちました。

4歳の頃、都会に引っ越しをしてきて
それからはずっと都会暮らしでした

幼い頃から、父は自然食品のお店を
営んでいました。

 

 

お店といっても、それはいわゆる、
テナントを借りて、店舗を開く
というものではなく、移動式の
宅配自然食品屋さんでした。

 

つまり、トラックの荷台が両サイドに
ウィーンと開いて、即席のお店が
オープンするといったやつです。
たまに見かけますよね。(見ないか?笑)

 

イメージはこんな感じです↓


出典:https://www.kurumaerabi.com/

 

父は友人との交流も深く、人脈もあったようで、
結構その商売はうまくいっていたようです。

 

ただ、宅配中心なので、泊まりがけで
遠方まで仕事に行くことも多く、
父親の留守が多かったことが記憶に
残っていますね。

 

そんなこともあってか、
自分にとっては、5児(10歳、7歳、5歳、3歳、0歳)
の父親となった今、

 

Taku
Taku
特に子供が幼い時はななるべく一緒に
いてあげたい。

 

という思いが強いですね。

 

ネットビジネスで田舎暮らしを決めたのも
そういった要素が理由の一つでもあります。

 

でも忙しく家族のために、朝早くから
夜遅くまで働いていながら
ずっと思っていたことがあります。

 

子供達とゆっくり時間が過ごせないのは、

 

「仕事があるから」
「食べさせていかないといけないから」

 

と。

 

父親不在の理由を仕事のせいに
してしまう気持ち。

 

確かにありました。

 

だってほんとに食べさせていかないと
いけないんですもんね。

 

僕はまさにそうでした。。
ただ、
ふと立ち止まって考えた時に
それで自分自身の人生に満足できているか
というと答えは

 

NO 

 

でした。

 

 

 

 

よくよく考えて、それは「言い訳」
であることにある日気がつきました。
結局自分に自信がなかったし、逃げていたのかな
と思います。

 

 

でも何かを言い訳にして、満足のいかない
人生を妥協で現状維持生活に
とどまるよりは、じゃあ、

 

「家族一緒に毎日過ごせるためにどうすればいいか」

 

を考えて、
それを単純に「するか」「しないか」
の2択なんだとシンプルに割り切って考えた結果

前者を選びました。 

 

 

娘の病気

 

 

僕にはまだ幼い娘がいますが、
心房中隔欠損、肺動脈狭窄という病気
を患っています。

 

 

小学生の歳になるころまでには
大きな手術をしなければならない
と担当医から言われています。

 

そんな娘の状況もあり、
なるべく大自然の中で
空気の美味しい環境に身を置いて、
ゆったりと育ててなるべく一緒に
時間を過ごすこと
を願うようになりました。

 

 

選択肢

 

 

そんな身のまわりの環境もあり、
PCを使って自宅でもできる仕事を始めるという
選択肢に行き着きました。

 

 

自宅で自分で仕事をするということは、会社員の立場を捨てて
独立して働いていくということなので、規模に関わらずそれは
自営業つまり大げさな言い方をすれば、「起業」ということになるのですが

 

今までの自分の人生の中で、「起業」というのは
自分にとって考えも及ばない果てしない夢
のように
思っていましたし、自分には関係のない「天才」と
言われ続けたような超高学歴のエリート街道を走ってきた
一部の人が立ち上げ大きな会社を経営する人、という
イメージしかありませんでした。

 

でも今思えば、起業ってそんなおおごとではなくて
ソロ起業なんて言葉も最近よく耳にしますが、
たった一人のソロで仕事を立ち上げるのも「起業」なんだな。

って気がつきました。

ひそかにこっそりお家でビジネスを
展開しちゃう。

なんてニュアンスですかね。笑

 

そして何より僕にとっては、
この自分らしいライフスタイルを確立するためには
「自営」という選択肢が必然だったように思います。

 

要は、

 

自分で生きていけるだけの
稼ぐ力を身につける

 

というだけの話です。。

 

このビジネスを始めて言えること
それは、

 

「本当にやってよかった!」

 

ということですね。^ – ^

 

自分の理想のライフスタイルを実現させる
ためにはこれ以外にはない

今でははっきりと言えるほどに
僕にマッチしているのが、
このビジネスだったんですね。

 

だって、

  1. 場所を問わない
  2. 自宅でビジネスができる
  3. PC1台で稼ぐことができる
  4. 子供と一緒の時間が過ごせる
  5. いつでも旅行ができる

 

なんて雇われの身では
ありえないですからね。

 

この上に挙げた僕の

ネットビジネスWants5ヵ条

について詳しくは、このサイトのCONCEPT
ご覧ください。 ↓

 

 

そのほかの理由として、
自分が今まで経験してきた
職歴や経験を通して
今のビジネスに行き着きました。

 

僕の今までの泥臭い人生街道を
振り返りたいと思いますので、
もう少しお付き合いくださればと
思います。 

 

いろんな業種から学んだ労働収入の苦しい経験  

    

 「時給制」アルバイトにに苦しんだ学生時代

 

僕が学生時代にアルバイトをして
一番始めに働いたフレンチレストラン
の時給は、

650円でした。

 

 

・・・・。

 

 

大学の学費を自分で稼がないと
いけなかったということもあり、

 

その後コンビニ、ファミレス、その他飲食店
引っ越し屋、冷凍庫、派遣、塾講師、
工場製造ライン、家庭教師、などなど

 

時給がよければ
もうなんでもやりました。

 

冷凍庫の仕事なんて、
マイナス30度の世界
ですからね。

 

 

Taku
Taku
鼻水まで凍りました。笑

 

 

自分のバイト歴をつらつら
紹介されても・・、とお困りかも
しれませんね。(⌒-⌒; )
すみません。
何が言いたいかというと、

 

 

 

労働して「お金」を稼ぐことが
どれほど大変か

 

ということを
学生時代にとことん学んだんです。

 

僕は、高校時代から
いろんなアルバイトをしてきたのですが、
今思うと「労働収入」がいかに大変
なことかということを痛感しました。

これは皆さんも日々感じておられる
ことではないでしょうか。

 

 

「労働収入」というのは、実際に自分が
労働した場合にだけ稼ぎ(収入)が発生
する労働形態のことを言います。

 

どの仕事もほとんどがそうなのですが、
例えば、不動産や土地を持っている人が、
土地や、物件を誰かに貸している場合は、
それは「労働収入」ではなく、「権利収入」
です。

 

自分が汗を流さなくても、自動的に収入が
入ります。
ミュージシャンや小説家が売り出す
CDや著書なども印税で収入が発生するものなので
「権利収入」の部類に入ります。

 

 

インターネットを使った仕事を始めてからは、
そうした自分の実働がなくても、

 

朝起きたら、数千円
夜寝る前には数万円稼ぐことが
できている。

 

という状況に身を置くようになった今、
あの学生時代の労働収入生活が
いかに過酷であったかということに
今更ながら気がつきました。(⌒-⌒; )

 

 「ロボット」のように働いた社会人時代 ①

 

 

昔から海外で生活することに憧れていたので、
とりあえず、資金を作るために、短期で
まとまったお金を稼ぐため、某自動車工場の
製造ラインで働くことにしました。

 

もう10年以上前の話になるのですが、
僕は海外に行きたい、旅をしたい
との思いから短期で高収入の仕事に
従事しました。

 

僕が配属されていたのは、
検査ラインという部署で
ベルトコンベアーに運ばれてくる
自動車をチェックするというものでした。

 

ベルトコンベアーと聞くと
想像できますように、
まさに「途切れることなく」
自動車が一定のスピード、
一定の間隔を保ってベルトの上を
流れてきます。

 

 

自分に割り当てられた時間は
きっちり決められており、
自動車1台につき 1分30秒

 

 

ベルトの上で、ゆっくり流れてくる
自動車のスピードに合わせて
少しづつ自分も移動しながら
の作業です。

 

そのわずか1分半の間に、
細かく分けて約70項目
検査や作業

こなしていかなくては
ならないんです。

 

工場全体は、
ばらの部品から始まり、
自動車が出来上がるまで
すべての工程が1本のライン(ベルト)で
繋がっていると考えてもらえばいいです。

 

そんな製造ラインですから、一人がミスると、
ラインを止めなくてはならず、
何百人の作業もストップしてしまいます。

 

自分の作業が遅れても同じです。
きっちりとペースを守らなければ、
次の自動車が後ろから迫ってくるので
追い込まれて最終的に、またラインが止まる。
全員の作業も止まる。白い目で見られる。

 

結構なストレス(プレッシャー)です。(⌒-⌒; )

 

そしてそれが、延々と8時間続くんですね。
さらに、忙しい時期は残業などもあり、
それにさらに2-3時間上乗せです。

 

ある時期は、僕の担当が、
自動車のハンドルやタイヤの
切れ角の調整の工程で、
階段を7、8段降りて、
自動車の真下にまわり、スパナで
タイヤの切れ角を機械の数値を見ながら
調整するという作業でした。

 

・・・。イメージわきます?

 

1台につきその7、8段の階段を
1分〜1分30秒以内に昇り降り
する。それを8時間ですよ。

 

 

もう最初はヘロヘロでしたね。
自分自身が、工場のベルトコンベアーの
一部になったかのような、

ロボットになったような錯覚

をおぼえました。

 

しかし人間とはすごいもので、
そんな過酷な作業でも、
毎日繰り返していると、
慣れるんです。

 

何ヶ月もすれば、
な〜んにも考えなくても
さっさと作業して、
次の車を待つために
10秒休めたりもできる
余裕ができます。笑

 

な〜んにも考えずに、
体だけ動かしてればいいように
なるんです。
1日8時間〜10時間。。

 

すごいでしょ。 ^ ^ 

 

・・・。

 

って、
さらにロボットみたいじゃんっ!!

 

Taku
Taku
こんなことしてたら、マジおかしくなるっ

って危機感を感じたのを覚えています。

 

僕にとっては、自分らしく生きることの真逆のような
ロボットが変わってできるようなその作業に
大切な自分の人生の1日の大部分を持っていかれる現実に
耐えられませんでした。 

 

確かに給料はその他の仕事より
は高く、11ヶ月の労働で、
確か200万円近く蓄えて、
それで海外へ留学することができました。
僕が25歳の頃です。

 

ただ、その経験から心に刻んだことは

 

毎日同じ作業の繰り返しの単調な
仕事は今後
絶対にしない。したくねぇ。。

 

ということでした。
もちろんそれが苦にならない方々もいます。
現にその職場には、何十年もそこで同じ
作業をしている方々もいました。

 

一つのことを淡々と継続できることも
素晴らしく立派なことですし、
尊敬されるべき職業です。

 

ただ、僕個人にとっては
そういった作業は
ほんと地獄でしたね。

 

その時漠然と思いました。
いつも動きのある、変化に飛んだ
職業につきたい
と・・。

 

 

今思うと、オンラインでのビジネスで仕組みを作って
実働「労働」がなくても、収入を生み出し、
自分の時間や場所を自由に調整できる
このライフスタイルは本当に僕にぴったり
だったんだなって思えます。^ – ^

 

 「ものづくり」に目覚めた社会人時代  ②

 

 

実は、昔から工作が好きでした。
海外から帰ってきてからは、
知り合いの職人のおじさんに
弟子入りをしました。 

 

 

その方は、大工仕事から水道、ガス、電気
など住宅の身の回りのことは何でも
できるスーパー職人さんで、
とにかく仕事がクリエイティブで
非常に勉強になりました。

 

仕事内容は主に、住宅のリフォームや
水道関係の修理に植木の剪定に、給湯器交換
ユニットバス設置、左官作業、水道配管、
電気の配線工事、もう何でもやりました。

 

お客さんの要望に対して、
「できません」って絶対言わないんです!
「ほな、やってみましょか。」って
やったことのない仕事でも引き受ける。
そして結局はやってのけちゃう。

 

必要であれば、他の職人さんの助けも
借りながら、全部自分たちでこなしていく。

 

その時、大工さんって本当に頭がいい!
って痛感しましたね。

 

よく、ブルーカラーとホワイトカラーを
分けて、高学歴の方はホワイトカラー、
学歴のない人はブルーカラーと言われます。 

 

学歴などに関しては確かにそれも
一理ありますが、それは「地頭力」とは
まったく関係がないということを、その
仕事を通して学ぶことができました。 

 

だって働いている間、お客さんからの
要望はいつも何一つ同じものがないんです。

 

その都度その都度、
初めてのケースにどう対処するか
どうすればうまくいくのかを
最善を模索する。

 

その時その時の状況や
材料に合わせて、自分の技術や
ツール(工具)を使って
クリエイティブに完成させていく。

 

 

トライ&エラーの繰り返しで
日々スキルが向上していく。
その継続が「職人」を生み出す。 

 

まさにプロフェッショナル仕事の流儀を
見せてもらいました。本当の「頭の良さ」って

 


学歴ではなく、「生きる力」

 

なんだなって。 

 

オンラインでのビジネスを展開するように
なってこのクリエイティブマインドは、
ものすごく役立ちましたし、
共通する部分
たくさんあることに気がつきました。
 

 


もともと「ものづくり」が好きだったので、
このような「手に職系」の仕事を続けていく
ことに魅力も感じてはいたのですが、

 

しかしながら、この魅力ある職業でさえ、
一点だけ悩みの種がありました。

 

それは

「体を壊したらそれでおしまい。」

ということです。

 

結局はこれも「労働収入」の部類なので
体を動かし続けない限り収入が
ストップしてしまうということに関して
危機感をいつも感じていました。 

 

そして、年齢を重ねるたびにスキルは身につくけど
給料は上がらず体は酷使してボロボロになっていく
という、「報いの少ない」職業だな
感じるようになってきました。

 

PC1台で収入を生み出すオンラインビジネスとの出会い

 

  模索していた迷走時期

 

 

長男が小学生の年齢になることを目処に
田舎で暮らしながら大自然の中で
のんびり子育てをするという
目標をたてました。

 

 

詳しくは、CONCEPTの部分で
語っているのですが、

 

ある時、
子育てのために思い切って
副業を始めてから1年半後に
本業を退職し、地方移住を決断しました。

 

今ある設備関係の技術(手に職)で
生計を立てることも可能かとは
思ったのですが、それでは田舎に
住んでいるというだけで給料もあがらない
何より、時間的にもゆっくり
子育てができないなと判断しました。

 

さらに田舎では好条件の仕事が
見つかりにくい事も分かっていた
ので、
時間とお金を確保しながら、
効率良く稼げる在宅ワークはないかと
いろいろ調べ始めるようになりました。

 

やはり、、

 

 PC一台で生計を立てる他に
方法はないな

 

と結論にいたりました。
そこで、いろいろを調べ始めたのですが、
最初に目をつけたのは、Webデザインや
チラシデザインなどでした。

 

まったく知識ゼロにもかかわらず、
とにかく半年ほど独学で、HTMLやCSS、
javascriptなどコンピュータ言語を
勉強してみました。

 

それに加えて、もともと趣味でやっていた
Photoshopなどのデザインスキル(素人レベル)
もブラッシュアップ(?)しながら
なんとか生計を立てる方法はないか
いろいろ試行錯誤しましたが、

 

結論的には断念しました。

 

あまりにも時間がかかってしまうことと、
スキル的にもかなりハードルが高いので、
それで定期的に安定収入を得るのは難しい
判断したからです。

 

(後々、無駄ではなかったことに気いたんですけどね。^ – ^)

 

何よりも、作業に時間がかかりすぎる。
たとえ在宅でもこれは体を酷使してしまう
ため長続きしないことは目に見えていました。

 

 ネットビジネスに出会ったきっかけ

 

 

そこで、そのほかに何かいい方法はないかと
調べまくっていた時に、テレビ番組で
「ハイパーボヘミアン」という
特集をしていました。

このダサい響きが
僕の人生を変えました。

 

 

1日15分の作業で、月40万を稼ぎながら、
田舎でのんびり暮らしている若い夫婦の
特集でした。

 

ビジネスの種類(職種)としては
はっきりとは公表されていなかった
のですが、生活スタイルとしては、

 

「まさに自分がしたいことをしている!」

 

と共感し、刺激を受けましたね。
言葉の響きはなんだかダサいな〜と
思いつつも、早速「ハイパーボヘミアン」
というキーワードで検索して、
結果的には僕の場合、

 

Webマーケティング
アフィリエイトの存在を知りました。

 

もちろんアフィリエイトという言葉は
以前から聞いて知っていましたが、
なんだか怪しいネットビジネスという
くらいにしか認識しておらず、自分とは
全く関係のない世界だと偏見を持っていました。

 

ところが色々と調べていくうちに
自分の誤解やそういった偏見も
徐々に溶けていきました。
不安はもちろんありましたが

 

「これは試してみる価値あるかも!」

 

という冒険心が勝ちました。笑

 

決心してからは迷いませんでしたね。
自分でもいろいろ迷って試行錯誤した上で
行き着いたネットビジネスでしたので、
「もう、やるしかない!」という
一心でひたすら突っ走っているという具合です。

 

ネットビジネスでの成果

実績

2017年9月から、ネットビジネスでまず
アフィリエイトを始め、
実践したその結果は、

 

2017年9月 月収 ¥1,313  (⌒-⌒; )
2017年10月 月収 ¥7,064
2017年11月 月収 ¥23,848
2017年12月 月収 ¥61,614
2018年1月 月収 ¥219,577 (びっくり大飛躍。コツを掴み始めた時期)
2018年2月 月収  ¥ 322,818   (比較的に楽に達成し手応え! ここからは安定!)

 

 

最初の月が収益1,313円って
笑えますよね。
かなり頑張りましたよ!この最初の時期。

 

「今の日本で必死になって働いて
やっと稼いだひと月のお金が
千円ってどんなブラック企業なんだよっ」

て突っ込みたくなりました。

 

もちろんそんな仕事をいつまでも
続けてはいられません!

 

分かれ道

 

ただ、「このあたりの時期」
運命の分かれ道だと自分に
言い聞かせてました。

 

不安も心配もありました。
本当にこのままつづけても
良いのだろうかと不安に
なることもありました。

 

でも僕は やめませんでした。

 

これが唯一と言っても良いほどの
僕が実感している勝因ですね。

 

その次の月、次の月と我慢の日々が
続きましたが、それでも徐々に、、
そしてある時いきなり飛躍し、
ぐんと収益を伸ばすことができました!

 

その後は継続して、平均サラリーマンの
月収以上を稼ぎ続けています。^ – ^

 

1年後には250万円以上を一つのサイトで
稼げるようになりました。

 

 

「志あるところに道は開ける」

 

という言葉がありますが、
本当にそうだな〜って最近
つくづく実感しています。

 

格言のようなものを用いると
立派な響きですが、僕の場合は
とにかく

 

このままの状態(ライフサイクル)を
 続けるなんて嫌だ!

 

との単純な思いが強かったから。
それだけですね。

 

それを「志」と言えるなら、
誰でも持っているものとも
言えるのではないでしょうか。

 

その思いが実行に移す程に
強くなっているかどうか。

現状維持」か「一歩踏み出す」か

これを突き詰めた結果、
後者を選ぶことができた。

 

ただそれに尽きますね。

 

今後の展望

 

このように、何はともあれ
一歩踏み出すと決心したので、
今後もこのPCで完結するオンラインのビジネスで
どんどん自分の人生をクリエイティブに
生きていきたいと思っています。

 

全くの知識ゼロからのスタートで、
2017年の秋に始めたビジネスでしたが、

ブログで培ったスキルを元にコンサルティング実践企画
を立ち上げ、情報発信(DRM)マーケティングで
2020年6月に月収300万円、12月に月収560万円を達成し
月収100万円以上を継続的に稼ぐまでにビジネスを
成長させることができました。

 

今後はさらに家族で長距離移動なども
企画しながら全国、世界どこにいてもPC1台で
稼いでいけるそんな新しいワーケーションの可能性を
広げつつ、同じように志を持った人たちに
その背中を見せていけるようなライフスタイルを
目指して毎日をクリエイトしていきたいと
思っています。 

 

Takuが目指す生き方

Taku
Taku
先達の轍(てつ)は踏みません。

 

先達のてつを踏むというのは、
「先達の人生の先輩方
が敷いたレールの上を自分も
たどる」という意味です。

 

要は、

 

人が歩いた足跡を踏んで進む人生

 

です。

 

絶対に嫌ですね。 

 

 

もちろん人から多くの事を学ぶ(真似る)
ことは大事です。

基礎を身につけるためには必要なこと
でしょう。

 

でも一生それでは
「自分らしさ」がないです。

 

真似するだけの人生なんか物足りない・・

 

 

先達についていく、真似る
ずっと一緒にいる、というのは
言い方を変えれば、
「おんなじ事をすることが望まれる」
環境に自分の身を置き続ける
ということです。

 

それはつまり「組織や他者」との
バランスを保つことを意味するので、

 

  • 個性の消失
  • 支配される立場
  • 同調圧力による我慢
  • 場所、時間、決断の制約
  • 妥協の連続

 

などが、常につきまといます。
僕はこれが、たまらなく嫌なんですよね!
このサイトに訪れて下さっている
あなたはどうでしょうか。

 

たった一度の人生、
自分の意思で生きていく

 

 

(協調性、社会性の大切さを否定している
 わけではありません!笑)

 

自分の根幹(生き方、ライフスタイル)に関わる
事柄に関しては、いつも自由意思を
持っていられるような環境に
身を置いておきたい
んですよね。

 

 

つまらないと感じる仕事を
イヤイヤ続けていてもしょうがない。
仕事は探したり選んだりするものじゃなくて
自分で創って、育てていく。
たった一度の人生。 好きなことやんないで、何やんだよ。

ー 旅人 高橋歩 ー  

 

 

僕の好きな言葉です。 

 

     

 

家族、時間、場所、仕事、お金
クリエイティブにデザインする。

DIY LIFESTYLE CREATION
はそのための一つのビジネスモデルです。

 

 

     

 

 

最後に

 

 

20代の頃、ふと本屋で

「世界一周してみない?」

というタイトルの本が並んでいる
のを見たことがありました。

 

 

言うは易し、行うは難し。

「そんなん、お金もないのに
できるはず無いやん。」

と羨望混じりの疎ましさを
抱きながら通り過ぎたのを
覚えています。

 

でも今、それを真剣に考えていますね。
しかも家族で。

 

ひとり旅もいいけれど、
家族で世界を巡れたらどんなにいいだろう、って。

 

 

人それぞれ、人生の夢
願いがあると思います。

 

人から見て「大きい」とか「小さい」
とかは問題ではなく、

 

その思いを形にするために行動に起こす
ことがその人が一番輝くライフスタイル

ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

Bon  voyage   
ボン・ボヤージュ 

良い旅を!